名は体をあらわす

って言葉あるじゃないですか

 

じつはあれって意外と正しいんじゃないかとおもってます

 

名をつけるのは親じゃないですか

 

で、その子供にはその親の教育が施されるじゃないですか

 

どんな名をつけたがるかっていうのは親の人間性が出るじゃないですか

 

なんというか、「名」をつけられた箱にOSがインストールされるイメージというか

 

結局なにが言いたいかっていうと子供の名は親の人間性とか性格とは別に教育があらわれた結果だと思うんですよね

 

で、その両者は当然相関があるから結果として名は体をあらわすと

 

 

て考えていくと、子供にどんな人間に育ってほしいかよりも両親を表現できる名前っていうのもまたひとつ、その子供を表現できる手段なのかもしれない

 

もしくは、これを客観的に捉えられていればこそ、はじめて子供にどんな人間に育ってほしいかという名前をつけることができるのかもしれない